私は子供の頃から美術の時間が好きでした。
高校を卒業して美術学校へ入学しました。
今ではよい思い出です。
いまだに暇があれば作品を作っています。
最近でも年にニ・三点は作っています。
今回このホームページでは個性的な作品を紹介致します。
学生の時に音楽バンドをやっていました。
曲を作るのも最近はとても気休めになります。
是非一度ご覧になってください。
小森 光宏
私は、一九六四年に、東京(北千住)で生まれた。
生まれて間もなく、東京(日野市)へ引越しました。そのころ、三億円事件が世を騒がせていた。
事件現場に近いため疑いもかかった。まもなく学校(保育園)をかわることになる。
私は、品川区へ行くことになる。まもなく、小学校六年の途中で、埼玉県(熊谷市) へ転校することになる。これまた、急な出来事でした。そのころ、高校野球(甲子園)は、東京代表校が優勝で、都内は盛り上がっていました。
またしても、中学校も転校することになりました。
高校へ進み、私は、のちに、生徒会長を勤めることになりました。私は、行くとこ、 行くとこ、不思議と美術関係に力を入れている学校が多かった。美術ができるできない関係なく美術に縁がありました。美術鑑賞の授業もよく行われました。もちろん、 アーティストになるためではない。美術教育あってこそ視覚上の感覚が磨かれるのだ。
そして、視覚上の感覚が敏感になれば、人々は身近に美しいものを取り入れ、環境にもよくなるといった考え方だ。私はその方針を理解し、美術学校へ進学することにしました。今回は、そこでの出来事から、旅を交えて、紹介をいたします。
私は、美術学校へ3年間通いました。最初の1年は、デッサンや、色彩の基礎などの授業が中心です。もちろん、フランス語などの、基礎授業もありました。この1年目は、絵画力のある方が、成績優秀という授業内容です。2年目に入るとグラフィックの授業が加わります。そこで、「白の発見」に気づかず、なおかつ、「隠れた構成」 の方法が直観的にあきらかになっていない方にとっては、このグラフィックそのものが、絵画という形式の構成要因だけでは表現できず、モティーフでの表現方法しかできず、グラフィックを学びしか生き残る手段がないというそんな時代でした。
当時の方は、こう語る「グラフィックはすべての商業デザインの【基本】です」。
ファッションをデザインする人もグラフィックから入る時代ですよ。それにグラフィックをやっていると「けっこう好感をもたれた」そんな時代を学生の頃は過ごしました。
今では、かわいいからかな。
子供の頃から、絵をやってたから『みちゅひろ』が自然であった。
小学校に入り『みつひろ』に変えようとしたこともあります。
ある時、 幼児が『みつひろ』と読めずに母親にしかられてるのをみていてこのまま行こうと思いそのままやってます。
古い仲間はこのサインでわかります。
まあちゃんとした理由もあるけどこれが、本音かな。
最近になってより一層コンピューターも普及し、親しみのある表現として注目されるようになりました。
もっと身近な表現になればと考え、水彩画を交えての作成を始めました。
それから、プリンター出力のイメージの魅力を生かしたコラージュも作成しています。
「みつひろ」のプリンターアートは、主に3種のタイプで作成してます。
プリンターアートで港を表現した作品は多数あります。
今回は船シリーズを紹介いたします。
私の趣味は収集です。
その中でも今回は蝶シリーズのアゲハチョウの標本の中から、オオクジャクアゲハを1点、プリンターアートで紹介いたいたします。
私は夜景はとても好きですが、夜景の作品は少ないです。
今回は香港の夜景(コラージュ)を紹介いたします。
25年間、愛用しているロゴマークが2点あります。
「みつひろ」の公式ロゴマーク2点です。