1964年12月 | 東京生まれ |
1986年03月 | お茶の水美術専門学校卒業 |
1980年09月 | ロックン・ロール(シボレーズ)2年6ヶ月 |
1983年09月 | バンド(ティー・クラブ)5年間 |
2008年05月 | ギャラリー松林(銀座)個展 |
2008年10月 | WANOMA(表参道)レンタルボックス展示 |
2009年01月 | デザイン・フェスタ・ギャラリー(原宿) アートピースルームWEST展示 |
2009年02月 | 下北アートスペース(下北沢)第一回合同展 |
2009年05月 | アートイベント・デザイン・フェスタ (東京ビックサイト)vol.29展示 |
2009年09月 | ルイ・ルルー美術館(京都)個展 |
2009年10月 | Nobu'sギャラリー(茨城)個展 |
2010年09月 | 下北アートスペース(下北沢)第七回合同展 |
2011年03月 | 「みつひろ」のホームページ開設 |
ロックンロールをはじめたきっかけは、
東京(原宿)に買い物をしに出かけた時に、
革ジャンにリーゼントのお兄さんが、
『ロックンロールやらない、友達つれてきなよ』
『俺たちほこてんの歩道橋の下で踊ってるから』といわれ、
私は、次の週三人の友達を連れ、ポマードギンギンでジャッケットを背負い踊りに行きました。
その時はじめてツイストを習いました。
私は、毎週原宿に通いダンスの楽しさとマナーを学びました。
とてもよい思い出です。原宿に通い半年を過ぎ独立をしました。そのチームがシボレーズです。
最初は六人のチームでしたが、後に、十五人となり高校を卒業と同時に解散いたしました。
美術学校の友達がバンドをやっていてよく、
目黒(鹿鳴館)へ、ロックを聴きに行ってました。
そのバンドが解散し、新たなロックンロールバンドをつくることになりました。私は楽器が苦手で、歌ならうたえるよといったところ
『よし決まり、君がボーカルでバンドをやろう』
それが、ティー・クラブ(ギター・ベース・ドラム・ボーカル)です。
バンドを初めて三ヶ月がたちスタジオで二曲を録音しました。
そのテープをもってコンクールに参加しました。
そのために曲も十曲ぐらいつくりました。週三回のスタジオでの音合わせです。時間帯は夜中です。
とても十代でなければできない忙しさでした。
バンド活動も三年を過ぎ、記念でレコードを出そう、三周年祝って。
曲は四曲、録音に三ヶ月くらいかかりました。
結局は録音のみで終了しました。曲は全部で20曲くらいあります。
レコードにしとけばよかったと後悔しています。
私は、個展会場へ招待はよくされてました。
縁がまるでない訳ではありません。
自分が個展を開くのは、昨年、初めてなことでした。
私は、はじめて何かをはじめようとすると、最初は、みんな来てくれます。
そのせいか、はじめての、行事が、記憶に残る。
旅先の思い出を記録に残そう。
私は、子供の頃から、どこへ行っても、すぐに記憶が薄れる。
もしも、写真が記憶だけのものだと考えるなら、
フィルム上に写し込む情報は、多ければ、多いほどよい訳で、別に、レンズのボケ味など考える必要はない。
しかし、写真も心の表現でもあると考えるなら、ボケ味は、私の写真表現のうえで、重要な要素の一つになっていると、私は考えてる。
このたび、ルイ・ルルー美術館で個展を開くことになったのは、自分自身が一生の中で一番変化した20年間だったから。
そして、振り返ってみて、環境の変化、作業上での進化がとても激しく、ちょうど切り替えの時期ともなる20年間といえる。
作業上での進化は、とても作品を制作していく上で表現力に大きな変化をあたえ、時代の変化もすざましく、時代の流れを幅広いジャンルで描き、今回の展覧会は、自分なりにまとめあげてみました。
私の作品のテーマは、旅人です。
私は学校を卒業して、はじめての一人旅(ニューヨーク)に出かけました。
私は旅先(ニューヨーク)でポップアートという得体の知れない世界に出会うことになります。
「これは、素晴らしいアートだ!」とても新鮮なイメージで印象に残りました。
いまから考えると、ポップアートが、周至に紹介されていたにもかかわらず、私の目には、映っていなかったのである。その旅先での、ポップアートの出会いは、以後、作品を作る上で強い影響を与えることになります。
のちに、グラフィックを学びます。
私は「白の発見」こそ「自然体の生の構成」とは別のあり方。すなわち「隠れた構成」 への具体的契機になったと感じています。
これは、グラフィックを知る上で重要なことだと感じます。とても、不思議な感覚でした。